【第29回】今こそ日本再生を真剣に考えよう(前編)

タイ在住20年。最大の親日国であるタイに暮らしていても感じることは、最近の日本の国力の低下である。既にタイでは15年くらい前から電機製品の主役はサムスンやLGなどの韓国に取って代わられていたが、音楽や映画などでも日本は韓国の後塵を拝している。

日本という国家が今何をなすべきか

2013年にはタイを訪れる外国訪問客のトップの座を中国に譲った。バンコクの街には中国人観光客があふれ、買物にいそしんでいる。中国人観光客数は実に日本人の6倍以上となっている。

一方、外交面では尖閣諸島問題や従軍慰安婦問題などで中国・韓国の外交攻勢を浴び続け、世界での受け止めは劣勢にあると感じる。

最近の日本人はこうした世界の現実から目を背け、内向きになっているのではないかと私は危惧している。そしてその姿勢が日本の考え方を世界の常識から少しずつ乖離させてきている危険性を感じている。日本という国家が今何をなすべきか、世界の常識に照らしあわせて考えてみたい。

「敗戦国」「戦争加害者」である日本

そもそも国家とは何のために存在するのであろうか? 国家の在り方を議論するだけで優に1冊の本は書けてしまうが、古くはアダム・スミスの国家論の中では「国家ならびに植民地財産の保護」「土木などインフラ整備」「司法」の三つが挙げられている。

後世になると自由放任経済の誤謬(ごびゅう)が指摘され、国家による一定程度の経済介入が必要とされ、経済の安定と富の再分配、更にケインズなどに代表される積極的な財政介入なども国の役割とされるようになる。

しかし、古今東西を問わず最も重要な国家の役割は「外敵の侵入から守り、国民の生命と国家の財産を守ること」なのである。ところが日本の政府広報を見ても、こうしたことは書かれていない。

また、日本では金科玉条のごとく奉られている「日本国憲法」を読むと、その第1条は天皇主権の否定であり、第2条は戦争放棄である。まともに国家の役割としての「国民・財産の保護」が規定されていないのである。

こう書くと一部の政治家たちからは「だからこそ今我々は憲法改正をし、軍隊の保持を目指しているのだ」と言われるであろう。だが、ちょっと待ってほしい。なぜ日本はまともな国家の役割が明言されていないのであろうか? 

それは日本が第2次世界大戦において「加害国」であり、かつ「敗戦国」である証しなのである。ところが日本のテレビや雑誌を見ていると気になることがある。第2次大戦において日本は空襲や原爆による「被害者」であるかのような論調が見えるからである。

中国が喧伝するような南京大虐殺があったかどうかはわからないが、第2次大戦によって2千万人のアジアの人が亡くなったのである。そして第2次大戦の「敗戦国」となった日本は「加害者」として断罪されたのである。これは世界の共通認識であり、この認識を否定することは同盟国であるアメリカを含めて世界中を敵にまわすこととなる。

多民族、多宗教で構成されている世界で秩序を保つための道具は、武力と論理になる。一度世界中で決めた日本の「敗戦国」「戦争加害者」という論理が否定されたら、同盟国アメリカでも日本を攻撃するであろう。日本が世界の中で協調して生きていくために唯一出来ることは、上述の世界の共通認識を認めた上で、戦後とってきた日本の施策を宣伝し、世界の中での日本の地位を高めていく地道な努力しかないのである。

—次回に続く