現代の日本人にとって、自由・平等そして民主主義は絶対的な価値のようである。これが実現出来ていない社会は未成熟社会であり、この三つの価値を否定すると人間扱いされなくなる。「ファシスト」「右翼」「共産主義」などあらゆる罵詈雑言が飛ぶ。

自由・平等・民主主義

確かに個人個人の権利が一定程度保証されるこれらの価値はきわめて居心地が良い。特に知識人やマスコミの方々にとって。しかし、日本人がこうした価値観を持ち得たのは、第2次大戦に敗れたからであり、それまでは天皇制による軍国主義をほとんどの国民が信奉していたのである。

敗戦によって多くの人々がそれまで自分の絶対的価値として信じていたものを失い、精神の放浪を味わった。人間にとって、自分の既存価値観を否定することはほとんど不可能である。それを行うと多くの葛藤が生じる。戦後すぐの日本人が味わったように。

しかし、自分と異なる価値観があるということを認めるのは可能であろう。今日のタイで起こっている政治の混乱は、自由・平等・民主主義が絶対の日本人にとって、全く許容出来ないもののようである。「半分の民主主義」などという昔の用語で説明を濁すが、なぜこうした事態が起こるのか理解できていない。

部分的民主化「半分の民主主義」

そもそも国家とは、一体何のために存在するのであろうか? 国家とは、人々の安全を確保するために存在するのが一般的である。その安全とは、まずは他国からの侵略の防御であり、その次に国家を維持するための最低限の経済保証となる。そして人々を一つの国家に集合させるスローガンとして、自由・平等・民主主義という標語が必要となってくる。

日本人にとってこの自由・平等・民主主義は価値観と共に倫理にまでなるが、他国の人にとっては、これに勝る価値観や倫理が存在する。それが宗教であり、地縁や血縁などと共に社会を構成する大きな要素となる。しかし無宗教の日本人にはこれも理解できない。

本題に戻ろう。タイはインドシナ半島の中央に位置するが、その近代、現代史は他国からの侵略の防御の歴史である。日本の明治維新の頃は、西欧列強がアジアの植民地化を画策した時代である。幸いにも当時最強であった英国はインドの植民地化の後、次の獲物を中国に定めインドシナ半島を通過して行った。

この間隙を縫ってフランスがベトナム、カンボジアなどの植民地化に成功するが、タイは列強間のパワーバランスを利用したその巧みな外交術で何とか独立を保つ。第2次大戦中は日本と同盟関係を結び侵略を免れるが、終戦直前に連合国側につき戦勝国となってしまう。第2次大戦後は、王制の下で軍事政権が続いていたが、ソ連(当時)、中国などの共産主義がインドシナに影響力を増していく中で、米国が共産化を防衛するタイの軍事政権を積極的に支持したのである。

1980年に首相に就いたブレム陸軍司令官(現・枢密院議長)によって部分的民主化を目指したのが「半分の民主主義」である。常に他国の侵略に構えてきたタイの人にとって、国家の存在価値は自分たちの安全を保証してくれるものなのである。他国からの侵略から守るために軍隊は絶対に必要であり、国家を弱体化させるような民主主義であれば、そんなものは必要ないのである。

—次回に続く