その昔「半沢直樹」というテレビドラマが日本の社会現象となった。日本から4500キロ離れたこのタイの土地でも「半沢直樹」は話題に。なぜ、「半沢直樹」はそんなにも人々の琴線にふれたのであろうか?

2013年当時、まだ日本の銀行員は花形の職業であった。世間的には怨嵯の的となっていたそんな銀行員が、醜い姿をさらしたからであろう。

●出世のためには平気で人を裏切り、部下には  罪をなすりつける
●派閥を作り、強烈な派閥抗争をする
●中小企業に代表される弱者には強くあたる
●一方で金融庁などの権力には極端にへつらう
●自分の利権のためには、時として悪質な不正 を行う

こうした悪らつ銀行員に対して正義を貫こうとする「半沢直樹」の時代劇ばりの勧善懲悪思想が、視聴者の心を掴んだと見るのが一般的な意見のようである。

減点方式と貸付信用保証制度

日本の金融業界は第2次世界大戦後、他国とはかなり異なった発展の仕方をしてきた。

第二次世界大戦によって国富を失った日本は、復興に向けた資金の手当てに苦労した。ここで大きな役割を担ったのが、当時の大蔵省主導による銀行保護政策―護送船団方式である。

大蔵省の擁護のもとに銀行を潰さないと半ば確約をし、国民から預金を広く集めたのである。国民は、銀行は絶対潰れないものとの「信仰」を持ち、銀行員は預金集めが最も重要な仕事になったのである。

銀行員は潰れない安定した職業であり、多くの若い優秀な人たちが、その職務に就いたが、肝心の仕事内容は〝お願い″をくり返す預金集め。預金集めで大きな差がつくわけでもなく、銀行員の出世競争はミスによる減点方式となり、日本の銀行員から積極性が失われていった。

そしてもうひとつ、戦後の復興を語るに忘れてはならないのが、当時の通産省主導で行われた中小企業育成策である。

広く国民から預金を集めた銀行は、その資金をもとに民間に貸し出す業務へと向かうわけであるが、銀行から積極的に中小企業に資金が流れるように中小企業を潰さないための保護政策をとったのである。

この政策のもっとも先鋭的なものが、信用保証協会による貸付信用保証制度である。担保が無くても、銀行から融資が受けられるという世界でも例をみないユニークな制度が出来上がったのである。

この制度は日本の産業復興上、きわめて有効な政策であったことは歴史を見れば明らかである。しかし、日本が復興を成し終えた以降、現在まで続くこうした制度が、日本の産業界・会社界にモラルハザードを引き起こしたと私は考える。

銀行はリスクを取ること無く、損失は信用保証協会に押し付け、思考能力を停止してしまった。企業家は、自分の資産を投げうたなくても無担保で銀行から金を借りることを当たり前と考える。いい加減な姿勢で会社を継続出来るのである。

—次回に続く