【第78回】フランス人は10着しか服を持たない(後編)

3年前にフランスへの観光旅行を決断した際、私はふっと先週紹介した『フランス人は10着しか服を持たない(ジェニファー・スコット/著、大和書房)』のことを思い出した。

残念ながら私にはフランスに住むフランス人の友人はいない。

しかし私にはパリに住む日本人の友人が数名いる。

今回のパリ旅行ではこの友人にお世話になり、たいへん有意義な旅となった。

歩いて楽しいパリの美しい街並み

それにしても、まずパリに来てびっくりしたのは街の美しさである。

凱旋門をはじめとして街のシンボルである場所を中心に、道が放射状に伸びている。

この道が広く、必ず街路樹が植わっている。

8月のパリは既に紅葉が始まり、まるで絵画の世界である。

道に沿ってぴったりと建ち並ぶビルディングは形式と色が統一され、街の美観が際立つ。

ここには東京やニューヨークにあるようなわい雑な広告の類は見当たらない。

道のところどころに机と椅子がせり出している。

カフェである。

カフェでは人々がコーヒーをすすりながら思い思いの時を過ごしている。

こんな街なら歩いていても飽きない。

道に沿ったビルディングの多くはアパートだそうだが、ビルそのものが古いため、アパートにはエレベーターもエアコンもついていない。

エレベーターがなければ住人は階段の昇り降りをしなければならない。

フランス人はあの本に書いてあった通り、街を歩くことを楽しんでいるに違いないと確信した。

しかしこの歩いて楽しいパリの街も、フランス人の文化の高さを反映して造られたのかと言えば、必ずしもそうではなさそうである。
そもそも19世紀の半ばまでは、パリは木造の建築物が並ぶ生物(なまもの)や汚物にまみれた汚い町であった。

こんな汚い町で1789年のフランス革命以降もナポレオンなどの王制と市民勢力の戦いが頻繁に行われていた。

汚く入り組んだ街並みは市民勢力による市街戦に有利に働いた。

これに手を焼いたナポレオン3世が1853年にセーヌ県知事となったオスマンに命じて行ったのがパリの街づくりである。

非衛生的であったパリに「光と風を入れる」ために直線的な大通りを設置。

この道路はあわせて軍隊の移動と市民勢力によるバリケード構築を阻止する役割を果たした。

伝染病を防ぐ手段として新鮮な空気を確保する公園が必要との理由で、パリの街中に多くの広場や公園が造られた。

新たに造られた市内の幹線道路沿いでは土地収用法を活用して、高さや窓の形、壁の色などを統一した建物を新たに造っていった。

この築後150年ほどの建物が現在のパリを美しく見せているのである。

このほか、治安向上のために街路に照明をつけると共に上下水道の設置などをオスマンは行った。

20世紀に入ると、この上下水道網を利用して電気、ガス、電話なども地中に設置されたのである。

オスマンの先見性は大いに褒められるところであるが、そもそものパリの街づくりの動機はフランス人の文化の高さから来たものではないことは明らかである。

それでもフランス人はこうして出来たパリの街を長い間、有効に活用しているのではないだろうか。

歴史の必然から生まれたもの

『フランス人は10着しか服を持たない』で著者のスコットが指摘したフランス人の生き方はこのパリの街並みが大きく影響しているように思える。

今から150年ほど前に出来たアパートだからこそ古く狭い居住空間しか確保できない。

こうした居住空間だからこそ、本当に良いものだけを選別して日常の中で良いものを大切に使うのであろう。

狭いアパートだからこそ、食料の買いだめもせずフランス人はせっせと毎日買い物に出かける。

現にパリの街なかにはスーパーマーケットが沢山ある。

きれいな街並みだからこそ、フランス人はその街並みにあった服装をして散歩やお茶を楽しむ。

祖先から代々引き継がれた良質な家具や食器に囲まれているから、これ以上金を浪費する必要もなくぜいたくに食事を楽しむ。

ボリュームのある料理で家族や友人、恋人達の会話を楽しんでいる。

これではポテトチップスなどのジャンクフードが入り込む余地はない。

どれもフランス人にとっては必然の生き方のような気がするのである。

振り返って日本人。

我々にも歴史の必然から生まれた建物、街づくり、文化などがあるはずである。

こうしたものを積極的に活用していくことが肝要である。