日本では、若い学生であってもドアが開くと走って席を目指す。
そしてすぐに携帯電話を取り出す。
よくよく見ると、座席に着いている人の8割程度の人が携帯電話をいじっている。
それとなく観察してみているとメールやラインを送っている人、ゲームをしている人、ブログを読んでいる人など様々なようである。
しかし無言で黙々と携帯電話に向かっている姿は、私には気持ち悪く映る。
スマホ登場で激変した日常の風景
私にとってもっと解せないのは、レストランやカフェで若い男女が向かい合って座っているに、2人はほとんど話もせず携帯電話をいじっているのである。
これでは何のためのデートなのかわからない。
ひょっとしたら2人テーブルで向かい合いながら、メールで会話のやりとりをしているのではないかとすら勘ぐってしまう。
携帯電話がなかったり、つながっていなかったりするとパニックになる症状を「携帯電話依存症」と呼ぶそうだ。先日何気なくテレビを見ていたら、こうした「携帯電話依存症」になった人を更正(?)させる番組をやっていた。
参加者から携帯電話を取り上げトレーナーが預かったあと、離島に向けて2泊3日の旅に出るのである。
青い海と緑の島を楽しむことにより、大都会の喧騒を忘れさせる。
参加者同士で話をさせることにより、会話の楽しさを思い出させる。
研修の最終日には参加者全員が晴れやかに携帯電話依存症からの決別を宣言するという内容であった。
ここまでしなければ携帯電話依存症から脱却できないのかと考えると、空恐ろしくなる。
幸いにも、私が育ってきた時代には携帯電話などなかった。
私がタイに赴任してきた1998年当時、会社から貸与された携帯電話は高さが30センチくらいあり、重さも2キロほどあったと思う。
とても仕事に携帯していく気分にはなれず、机の上に置きっぱなしにしていた。
無線回線網の整備に伴い、2000年に入ってから携帯電話は急速に普及。
07年にはアップルがiPhoneを発表。
その後は電話通信機能のみならず、メールやゲーム、カメラ、娯楽機能が付加されたスマートフォンが世界標準となっていった。
携帯電話依存症が急速に広がっていったのはこのスマホの登場が大きいが、このスマホが登場してからまだ12年しかたっていないのである。
しかしながら、コンピューターに疎い我々アナログ世代は恐る恐る新しいIT器具に触るため、スマホが登場しても携帯電話依存症に陥ることはなかった。