【第65回】老いては孫から学べ(後編)

私には3人の孫がいる。先週につつづき、その3人の孫のうち、生まれて10カ月のK君がタイに遊びに来た時のことをお話ししたい。

他者に受け入れられて初めて自分の価値がある

コンプライアンス社会である日本を見ると、企業や官庁、更には学校などの教育機関もリスクを恐れ、「するべからず」の規制ばかりを押しつけるのである。

こんなことで社会の進歩はない。

経験をしなければ人間は賢くならないのである。

K君のあくなき学習意欲と経験を積む姿勢に、現代の日本人は学ばなくてはいけない。

K君から学んだ2点目は、その「愛想の良さ」である。

外出をすると、とにかく人に声をかける。

「アッ!アッ!」と声を出し、その人がかまってくれそうだとを感じると、精いっぱいの愛想笑いをする。

「女性や老人は口説きやすい」と既にわかっているようである。

背広姿の男性にはあまり声をかけない。

とにかく自分に注目してもらおうと努力する。

誰に似たのだろう? 私は部下にも怒ってばかりでこんなに愛想は良くないはずだが……。

しかしこれも人間の本性なのだろう。

哲学の存在論的に言えば「他者があっての自己」なのだろう。

他者に受け入れられて、初めて自分の価値がある。

自分の存在を確認する意味からも、他人に好かれる努力を常にしていく必要性をK君に教えてもらった。

それだけではない。

「笑顔の効用」もK君が教えてくれたことだ。

赤ちゃんの笑顔は人の心を和ませてくれる。

しかしそれは決して赤ちゃんだけではない。

あなたの笑顔は、きっと他人に幸せな気持ちを与えていることであろう。

ところが最近の日本人ときたら仏頂面ばかり。

40年ほど前の日本は、欧米の人たちから「ほほ笑みの国」と言われていた。

いつの間にかその呼称は、タイ人のものとなってしまった。

K君の笑顔は素晴らしい。

しかしそれに応えるタイ人の笑顔もとっても素敵で、笑顔の相乗効果となっていく。

どこのレストランに行ってもK君はタイ人のウエイターやウエイトレスに「キャッキャッ」と言ってかまってもらう。

そうこうするうちに店内ツアーに出かけ、スマホで写真をいっぱい撮られている。

おかげで私たち大人はゆっくりと食事をさせてもらうことが出来た。

これも「笑顔の効用」である。

現在の日本人に欠けているものが見えてくる

笑顔のタイ人たちは子供たちに寛容である。

否、子供を含めて人に寛容だからこそ、タイ人は笑顔でいられるのであろう。

子供たちがちょっと騒いだだけでも、すぐに怒りだす日本人の大人たちは考えを直した方が良いかもしれない。

そんな愛想の良いK君であるが、おなかが空いたり眠かったりすると、さすがにぐずる。

食欲や睡眠欲などの生理本能には、人間は勝てないのであろう。

特に自分に正直な赤ちゃんであれば全てストレートにそうしたものが出てくる。

ほかにも、母親や私たちなど保護者が近くにいないと思うと、急に周りをきょろきょろと見回す。

そして不安にかられ泣きだしてしまう。

「生を健全に全うしたい」という欲求は、人間存在の根本である。

こう書いてくると、K君の生理本能に基づく行動は、あることに妙に符合していることに気づく。

「空腹を満たすための最低限の食事」「寒さをしのげるだけの寝場所の確保」、更には「他者からの攻撃を守ってくれる安全性」の三つは、国家として本来果たすべき役割なのではないだろうか? 大人も赤ちゃんも安心して生活を送れる環境の整備は、保護者として最も大切な役割なのである。

ところが安心して生活を送れる環境が将来にわたって保証されていない、という不安感が日本人から笑顔を奪っているのかもしれない。

たった2週間であるが、K君と付き合って多くのことを勉強させてもらった。

赤ちゃんに真剣に向き合えば、現在の日本人に欠けているものが見えてくるのではないだろうか?。