【第62回】独見「チップ」考(前編)

海外に住む日本人にとってなかなか馴染めない習慣に「チップ」がある。「高いレストランに入ったがチップはいくら置いたらいいのかわからず、食事が満足にのどを通らなかった」「理髪店やマッサージ屋などに行く度にチップの額について悩んでしまう」「ホテルのボーイに車のドアを開けてもらったが、チップをあげそこねて後々まで気になってしまった」。こんな経験を皆さんはお持ちではないだろうか?

米では「サービスへの対価」、タイでは「施し」

最初に私が提起したいのは「米国とタイではチップに対する概念が全く異なっている」ということである。

米国におけるチップは「サービスへの対価」。

これに対し、タイにおけるチップは「施し」である。

米国ではレストランなどで食事代の10〜20%を基準としたチップを支払う。

これはレストランのボーイやウエイトレスの主要な収入源となる。

ボーイやウエイトレスなどはこの収入を得ようと精いっぱいのサービスを行う。

10〜20%と格差があるのは、属している階級の違いである。

高級レストランに行けば20%が基準となり、労働者階級が使うレストランであれば10%が基準となる。

この基準となる10〜20%に対して、良いサービスを受ければ基準以上のチップを払い、悪いサービスであれば若干少ないチップを置く。

チップは顧客の謝意の意思表示であるとともに、その店のサービスに対する評価表でもある。

そもそもチップの概念のない日本人にとって、レストランの食事でチップを置く事は「付加的な費用を強いられること」となり、何となく損をした気分になってしまう。

しかし、最初から10〜20%付加された金額が正規価格であると思えば、米国で払うチップも割り切れて考えられるであろう。

ここで注意して欲しいのは、レストランなどでいくら悪いサービスだからと言って、1セントなどの極めて少額のチップを置いて帰ることである。

米国では最悪のサービスを受けた時に1セントを置いて帰る習慣がないわけではない。

しかしこれをした場合は、二度とその店には行けないという覚悟が必要である。

高級レストランのソムリエに対し、店のワインの味に文句をつけ、ワインを変えさせる行為と同等である。

酸化作用などで極端に味が劣化した場合などを除いて、もしソムリエにワインの文句を言ったら、あなたはその店から叩き出され二度とその店に行くことはできないであろう。

米国のレストランでチップとして1セントを置く行為をすれば、同じようなしっぺ返しを食らうことがある。

タクシーや理髪店など価格が明示されているものに付随するサービスへの対価は、レストランのチップと同様に、価格の10〜20%である。

それではホテルのベルボーイや部屋のクリーニングに伴う「枕チップ」などはどう考えたらよいのだろうか?
これについては、サービスに対する一般的な価格水準があるようである。

私が米国に住んでいた25年前は、これらの価格は「50セントから1ドル強」であった。

その後、米国の物価水準の上昇から、現在は「1ドルから3ドル」と考えて良いだろう。

一方で20年以上にわたるデフレ経済の影響で日本人はすっかり貧困となり、物価に対する感覚も世界標準から乖離してしまったようである。
皆さんはご存知であろうか? 日本の2018年の「1人当たりの名目国内総生産(GDP)」はなんと世界で26番目にまで下がっているのである。

その後のアベノミクスによる円安の進行に伴い、現在は更に順位を下げていることであろう。

日本は世界の中で決して豊かな国ではないのである。

貧しくなった日本人から見れば、3ドルも出せば昼食が食べられる。

そんな金額をチップで出すことはなんとなくためらわれる。

しかし米国では「米国の物価水準でのチップ」を必要とする。

それが高いと感じられるとすれば、日本が貧しくなった証左である。

豊かになる努力をするしかないのである。