【第57回】わが同朋の死を悼んで(後編)

G君も当然のことながら自らUFJ銀行を退職していた。優秀なG君は米国の大手会計事務所に職を見つけ、数年でパートナーに上り詰めていた。G君は毎回EXTOKAIに欠かさず参加。しかもいつも遅れて会場に飛び込んでくるG君は私の顔を見つけると「小澤さん、お元気ですか?」と必ず声をかけてきてくれた。

自分の命の終わりを告げたG君

饒舌ではないが、心を許した人間には人懐っこい笑顔を向けてくる。

私はこのEXTOKAIでG君と話をするのをいつも楽しみにしていた。

銀行を辞職し、自らやるべきことを見いだしてきたG君。

別々の世界に生きることとなったが、人生を真摯に生きていくG君を私は同志として感じていた。

私は今年1月の日本出張時に顧客訪問の合間を縫って、アポなしで彼の勤務する会計事務所を訪ねた。

寒く冷たい雨の降る真冬の午後であった。

突然の訪問にもかかわらず、G君は嫌な顔をせず応接室に現れた。

「ごめん。

突然アポなしで申し訳ない。

ちょっとでも良いからG君の顔が見たくて来たんだ。

去年のEXTOKAIに参加できなかったのでね。

元気にしているかい?」。

慈愛あふれた笑顔(少なくとも私にはそう見えた)で私の言葉を聞いていたG君は一呼吸おいてから、「小澤さんもお元気そうで何よりです……。

小澤さんにはお話ししてなかったかもしれませんが、実は昨年、私はがんの治療をしていました。

秋には完治したと医者から言われたのですが、年末の検査でほかの場所に転移していることがわかりました。

医者からは残り3か月から1年の命だといわれています」。

彼は静かな笑顔を崩さず淡々と私に自分の命の終わりを告げた。

一方、私は突然の重大告知の前にうろたえながら彼に言葉を返した。

「ご家族はもちろん知っているのだよね」
「家族にはもうすでに話しました。

会社にも報告をして閑職に移動させてもらいました。

今は後輩に対してなるべく多くのことを引き継ごうと教えているところです。

友達に連絡するかどうか悩んでいたのですが、小澤さんの顔を見たら“水臭い”と言われそうな気がしたのでお話ししました。

皆にはこれから連絡します」。

すでに自分の死に対して正面から向き合っている彼の厳然たる態度に頭が下がる思いであった。

その日は「家族に対する愛情」「部下に対してできること」「仕事と人生」などについて1時間にわたり彼と差しで話をした。

私は次の訪問予定があったため彼の勤める会計事務所を後にしたが、外は相変わらず寒く冷たい雨が降っていた。

しかし私は傘をさす気になれず、雨に濡れながらしばらく歩いた。

真剣に語り合った仲間たちとEXTOKAI

その4ヵ月後、G君はこの世を去った。

たまたま日本出張中であった私はお客様の訪問スケジュールをキャンセルさせていただいて、G君のお葬式に参列した。

荘厳なお葬式であった。

同僚や後輩の方々が読まれた弔辞は、彼の生き様がよくわかる心のこもった弔辞であった。

私の知っているG君は「皆の中にも生きている」ことがわかりうれしかった。

一方で花輪などを見て、彼が開成高校、東京大学の出身であったことを再確認した。

銀行時代、彼の上司であった私は、当然のことながら彼の経歴書を見ていたはずである。

しかし私にとって彼の学歴など意味がなかったに違いない。

仕事面では彼に助けてもらうことはあっても、私から彼を助けたことなど記憶にない。

彼の過去の経歴など知らなくても彼と私は「一期一会の付き合い」をしたのだと信じたい。

少なくとも2人で話をするときはお互い偽りない議論をしてきた。

お葬式の最後に、喪主である夫人が参列者に対して以下のように語られた。

「主人は前日まで普段通りの生活をしておりました。

その日の夜、床につきそのまま帰らぬ人となりました。

仕事一筋にまじめに働き、家族を守り支えてくれる夫でした。

転勤の多い仕事でしたが、その土地その土地の文化や人の温かさに触れ、かけがえのない日々を過ごすことができました。

何事にも努力を惜しまず目的を持って取り組む夫の背中は、家族に大切なことを教えてくれました。

これからも在りし日のようにやさしく見守ってくれると信じ、感謝の心で見送りたいと思います」。

夫人は一粒の涙を見せることもなく、気丈に語られた。

死に対するG君の覚悟が夫人にも乗り移ったように思われた。