【第56回】わが同朋の死を悼んで(前編)

東海銀行時代の部下で友人であったG君が亡くなった。60歳を過ぎたばかりの若すぎる死である。1994年、私は米ロサンゼルスから帰国し、国際企画部統括グループの次長となった。この時、この統括グループ主計係のヘッドとして圧倒的な存在感を持って仕事をしていたのがG君であった。

徹夜も辞さず仕事に邁進

当時の日本の都市銀行はバブル崩壊による不動産価格下落から、不動産融資やゴルフ場融資などが回収不能となり、どこも火の車の状態であった。

東海銀行もご多分に漏れず多額の不良債権に苦しめられたが、西垣覚頭取(当時)のリーダーシップのもと、リース会社や住宅専門会社のリストラにいち早く手を付けた。

一方で、「国際部門は重要部門ではない」との国内部門からの圧力で国際部門は縮小を迫られていた。

そもそも銀行の屋台骨を壊すほどの不良債権をつくったのは国内部門である。

にもかかわらず、「リストラはまずは国際部門から」という理屈に対して、国際部門に身を置く人間はみな反発を覚えた。

しかしながら海外顧客、特に現地企業との強固な取引関係を構築できていなかったのは事実であり、我々はやむなく国際部門の業務の見直しに手を付けた。

「国際業務戦略の再構築」「現地企業(非日系企業)取引からの撤退」「海外支店業務の効率化と人員削減」「海外拠点網の再編成」「海外出資戦略の見直し」「ドルなど主要通貨の調達源の確保」「資金放出先の見直し」。

こうした難しい課題の方針を矢継ぎ早に策定するとともに、これを実施に移していかなければならない。

国際企画部の部員だけではなく、国際部門や資金証券部門に携わる者の多くは毎晩深夜1時、2時まで仕事をした。

こうした中で海外支店や国際部門全体の予算、決算の取りまとめの重責を担っていたG君は、徹夜も辞さず仕事に邁進してくれた。

海外主計業務の知識と経験では彼の右に出るものはいない。

その知識に乏しい私は全面的にG君を頼りにしていた。

真剣に語り合った仲間たちとEXTOKAI

国際企画部の部員たちはこうして毎日午前様になるまで仕事をしていたが、深夜を過ぎるころになると息抜きのために数人が車座になって議論を行うことがたびたびあった。

「なぜ銀行はこんな悲惨な状況になってしまったのか?」「本来日本の銀行は国際業務として何を行うべきなのか?」「現地企業取引を行うことの意味は何か?」「最も効率的に国際部門を運営するためには何が必要か?」。

銀行の国際部門の再生に向け、みな真剣に議論をした。

G君もたびたびこの議論に参加した。

G君はいつも腕組をしながら、人の話をしっかり聞いていた。

間違えた事実認識があると必ず訂正をした。

自分の意見を述べる時には断定することはなく、必ず「私はこう考えます」という言葉を使った。

真実を追求する姿勢は常に妥協がなかったが、一方で自分の意見の非蓋然性についても良く認識していたと思われる。

G君を含めた国際企画部部員による真夜中の非公式な議論は、その後の東海銀行国際部門の方向性を形作る面で大きな影響を与えた。

1998年以降、都市銀行各行が海外で貸し渋りを行った際、唯一東海銀行が日系企業からの貸し出し要請に応えられたのも、皆が真剣に銀行のあるべき姿を考えたからだと思っている。

97年になるとG君は米国での国際業務の再編の最前線に立つべく「米州室長」としてニューヨークへ転出。

私はアジア通貨危機の対応を行うため98年にバンコクに赴任した。

その後G君とは地理的にも業務面でも離れ、しばらくの間お互いに連絡を取り合うことはなかった。

2002年1月、東海銀行は三和銀行と合併しUFJ銀行となった。

UFJ銀行の業務方針に賛同できなかった私は、自らの意志で職を辞し、03年4月にバンコック銀行に転職した。

東海銀行の国際部門や資金証券部門では、私のようにUFJ銀行の業務方針に賛同できず退職していく人が後を絶たなかった。

しかしながら、自分から「日本の都市銀行員」という安定した地位を捨てていくわけである。

不安でないはずがない。

一方で銀行再建のため夜遅くまで働き、ある時は銀行のあるべき姿を真剣に語り合った仲間である。

「道半ばにして夢を諦める」悔しさでいっぱいであった。

04年、こうした「自ら銀行を退職した仲間」が集まってEXTOKAIという会が発足した。

銀行員を辞めたがゆえに現在味わっている厳しさ、苦しさ、そして悔しさを皆で共有しながら互いに励まし合っていくという趣旨のこの会は、現在も年2回開催されている。

会の最年長者の一人である私は、同僚や後輩に何も手助けもできなかった責任を感じ、EXTOKAIのあいさつでメンバーの前で頭を下げてわびたこともあった。

そんなEXTOKAIの面々も、今ではすっかり各分野で活躍しており、頼もしい限りである。

EXTOKAIは現在では会員数200名を超える大きな会となった。

発足以来ずっと会の面倒を見ていただいているI君、A君、S君など幹事の皆様には本当に感謝している。