【第50回】ジンタナさんの退職と日本人クレーマー(前編)

バンコック銀行のシーロム本店にある日本語カウンター「JAPAN DESK」の創始者の1人であるジンタナさんが退職した時の話をしたい。まずは、この記事を読み進めていただく上で読者の皆様の誤解を避けるために、バンコック銀行の日本人向けサービスについて若干説明させていただきたい。

私がバンコック銀行に転職したのは2003年4月。前任には同じ東海銀行から出向・転職された新井寿さんがおられ、バンコック銀行の日系企業向け取引の礎を築き上げられていた。その基盤の上にさらに準備を行い、04年10月より日系企業部という組織が発足した。この組織の英文呼称として当初使用したのが、一般的に馴染みのある「JAPAN DESK」であった。

「JAPAN DESK」の変容

2000年の外国人事業規正法の改正により、タイでは製造業において外資(日本からの出資も含む)100%での会社設立が認められるようになり、日本企業のタイ進出ブームが起こった。日本国内では円高をはじめとする「六重苦問題」が語られ、さらにチャイナプラスワンの観点から、タイは日系企業の進出先国ナンバーワンとなっていった。

こうした追い風に恵まれ、我々バンコック銀行日系企業部は順調に業容を拡大していった。もちろん、こうした業容拡大に導いてくれた日系企業部員の努力に対しては、多大な感謝をしている。しかし、日系企業部の陣容が50人を超え、取引先も千社を超えたあたりから、我々の名称「JAPAN DESK」が実態にそぐわなくなってきた。

「JAPAN DESK」の一般的な語感は、「数人の日本人もしくは日本語を話せる人が座っている部署」である。一方、我々バンコック銀行日系企業部はこうしたイメージをはるかに超えた巨大な組織となっていた。このため我々の英文呼称は、日本語呼称をそのまま英文化した「JAPANEASE CORPORATE」と変更した。

同じ頃、タイの他の地元銀行が日本人向け取引の拡充に動いていた。日本語を話せるタイ人を雇い、日本人向け個人口座の開設やクレジットカードの販売を行う「ジャパンデスク」を設置し、新聞やフリーペーパーに大々的に宣伝をしていた。こうした他行の攻勢の中で我々バンコック銀行はどう対処したら良いのだろうか? 地元他行が広告を始めた当初の私の考え方は以下のようなものであった。

「バンコック銀行日系企業部は企業取引を専門としている。日本人個人取引については駐在員中心で、常に転勤するため預金取引に限定され、かつタイ転入時に給与振込銀行に指定されるはず。よって広告宣伝をする必要はない」。ところが、地元銀行の戦略は私の想像をはるかに超えて日本人の中に浸透し、日本人社会の中で急速にバンコック銀行のイメージが低下していった。

こうなったら自分の間違いを認めるしかない。方針転換である。嶋村浩エグゼクティブ・バイス・プレジデント(EVP)が中心となって日本人や日本語を話せるタイ人を採用し、日本人個人向け業務とこれに付随する日本語広告宣伝業務を開始した。

バンコック銀行の商品を説明する日本語ホームページは、会社取引を行う中で片手間仕事として既に06年くらいから始めていた。まずはこのホームページの中味を見直すと共に、「メール照会に対する回答業務」を開始。このメールによる照会は現在もコンスタントに1日5件程度受けている。この他、ATMの日本語化、クレジットカード申込書の日本語化、日本語商品説明書の取り入れなど矢継ぎ早に個人向け施策を実施した。

11年10月には、シーロム本店に日本語を話せるタイ人2人を配置した「JAPAN DESK」を設置した。こうして当初の日系企業取引部署の名称から意味合いを変え、日本人の個人向けサービスカウンターとして再発足したのである。そしてこの設立メンバーの1人が、ジンタナさんである。

おざわひとし。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住21年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。現在ウェブマガジン「ニュース屋台村」に記事掲載中。

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