【第45回】考えて、考えて、考え抜こう!(前編)

【第45回】考えて、考えて、考え抜こう!(前編)

私が統括するバンコック銀行日系企業部では、新入社員が入ってくると、私が自ら60〜70時間のレクチャーを英語で行う。もちろん提携銀行から受け入れている日本人出向社員も例外ではない。

毎回たくさんの課題を出し、その発表を英語でやらせることにより、恥も外聞もなく英語を使わなければいけない状況に追い込む。もちろんテーマは日系企業部の商品やタイの法律であったり、実務に基づくものであったりする。
もう何年もこうしたことをやってきているが、提携銀行からの出向者の反応を見て、「やっぱりか」と思う現象がいくつもある。それは「自分の仕事についてざっくりとした知識しか持ち合わせず、深掘りされていない」ことである。
具体的には「自行の商品の特徴を十分理解しておらず、自分のノルマ達成だけを言い訳にして顧客に対して『何とかお願い』とだけを繰り返す。また顧客のニーズを自分の頭で整理していないため、顧客のメッセンジャーに成り下がっている」ということである。
一緒に働く仲間に対して大変失礼な言葉を使ってしまったので、彼らの名誉のために私は以下のことも申し添えたい。
それは「彼らは各銀行のエリートたちであり、頭も良く、今までも一生懸命勉強し、仕事をして実績を上げてきた」ということである。しかし残念なことに、「徹底して考える癖」と「他者の存在を認知すること」は習ってこなかったようだ。

「5 Why & 1 How」

私のレクチャーでは、新入社員に対して「5 Why & 1 How(5回の『なぜ』と1回の『いかにして』)を身体の髄まで染み込ませようとしている。
毎回出題する宿題に対して、5回の「Why」で彼らを問いつめていく。すると物事は極めて単純化して見えてくる。ここまで来ると、判断は常識を使って出来る。「How」の回答は簡単に出てくる。
ところが頭の良いと言われている人ほど、物事をわざわざ複雑に難しく表そうとしている。こうした時に5回の「Why」で問いつめていくと、実は単純なことが全くわかっていなかったということに気付くのである。
また、頭の良い人間ほど物事を複雑化することにより、自分が判断を行うことから無意識に逃れようとしている。一方、異なった他者の存在を認知できないのは、民族・宗教・言語・社会などがほぼ同一化された日本ならではの特徴である。全く異質な他者の存在がないために他者に対する興味がない。このため、論理構成は他者の存在を無視した自己中心的なものになりやすい。
この点、米国の一流大学では徹夜してディベートの授業が行われる。このディベートの授業では、自分の信条や価値観に関係なく仮定の条件が設定され、その立場に立った時の論理の正当性を主張していかなければならない。そして勝った者が「正義」を手に入れるのである。
こうした形で決まる「正義」については、是非もあろう。しかしディベートを通じて米国の大学で学ぶ人たちは、考える癖がついていく。また、違った立場や前提に立つ人間が存在し、その人間は異なった思考体系や結論を持っているということを、実体験させることで認識させていく。
残念ながら日本の教育プログラムの中には、こうしたカリキュラムがほとんど存在しない。これを少しでもわかってもらおうというのが、私のレクチャーである。


おざわひとし。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住21年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。現在ウェブマガジン「ニュース屋台村」に記事掲載中。
www.newsyataimura.com