【第40回】頑張れ!日本の自動車産業(後編)

2つ目の環境変化は、新興国の自動車メーカーの台頭である。2000年までは実質的に自動車を造れる国は米・欧・日の3地域であった。しかし、技術流出に鈍感な日本は、韓国・中国・インドなどに技術を教え、これらの国に自動車メーカーが勃興し、今や日本のライバルとなってしまった。

ライバルとなった新興国の自動車メーカー

これらの国の自動車メーカーは安全性や品質を軽視し、安い車を造る。こうした安い車は経済成長を続ける自国の中間層以下がターゲットとなる。そもそも米国のコピーから始まった日本の自動車メーカーは米国車より安価であり、米国においては当時、米国社会の大層を占めていた中間層に売られていた。
しかし、新興国の中間層以下は自国に登場した自動車メーカーが強力なライバルとなった。これらの国においては日本の自動車メーカーが重視する安全性など、どうでも良いのかも知れない。

現在でも、タイの交通事故の自賠責の対人死亡保障金は30万バーツ(100万円程度)である。日本の自賠責対人死亡保険が3,000万であることを考えると、タイにおける人の値段は極めて安いのである。

閉鎖を強いる規制社会

3つ目の変化は、日本が自国内に構築してきた問題に起因するものである。安全性の確保やリスク回避の志向から極度の規制社会、コンプライアンス社会へと舵を切ってしまった。スピード規制のないアウトバーンを持つドイツだからこそ、小型車であってもゆうに時速200kmで走行でき、かつこうした条件で安全性を兼ね備えた自動車に造る必要性が出てくる。必要は発明の母である。

一方、日本の車はスピード規制があるため「走りの面白い車」などできるはずがない。過保護な行政の中で日本の車は「静寂性」や「豪華な内装」などで勝負するしかなくなってきている。さらに悪いことに、コンプライアンスに縛られた社会はリスクをとらない社会である。米国ではグーグルがハンドル、アクセル、ブレーキのない自動運転の車を造り公道実験を始めて久しい。私の友人もすでに5年前にはグーグルの車で米国の公道を走っていた。

日本ではこうした車の公道での運転がいつ許されるのであろうか? 規制社会は日本の国内市場を閉鎖して守る意味はある。しかし、ご存知のように日本は今後人口が急速に減少し、自動車も売れなくなっていくと思われる。こんな縮小する社会を守って何の意味があるのであろうか? このまま日本の行政が規制を続けていけば、日本の自動車産業はガラパゴス化して外国勢力に敗退した携帯電話の二の舞となってしまう。

ここまで書き進めてくると、日本の自動車産業の未来に暗澹たる気持ちになってしまう。自動車メーカーは人口減少の迫る日本に残っていても、世界の消費者のニーズに合う車を造れないであろう。各地域において一から起業し直し、地域ごとにターゲットを選定し、会社を作り直すぐらいの覚悟が必要な時期に来ているのかも知れない。それが出来る技術力と潜在力を日本の自動車メーカーはまだ持っている。メーカーの頑張りに期待したい。